百年来の不況というが63年前は  この国ははどこへ行こうとしている

「言いたいことはたくさんあるんですよ」。取材申し込みの電話口で、平山郁夫さん(78)は言った。


 不況、そして雇用危機がこの国を覆う年の瀬、神奈川県鎌倉市の自宅を訪ねると、平山さんは応接室に入ってくるなり、ソファに座る間さえ惜しむように一気に語り始めた。


 「あっちにもこっちにも、気の毒な人が出ています。ただね、ふと思うんですよ。100年に1度の不況と言われていますけれども、昭和20年、1945年8月15日。太平洋戦争で日本が無条件降伏した日。100年どころか、たった63年前ですよ。そのことが全然出てこない。不思議だなあ、世代は変わったなあとね


 45年8月、15歳だった平山さんは広島で被爆した。


 「私の中学校では、先生や生徒201人が即死しました。その後、放射能障害で亡くなった人も大勢います。同級生も60人以上が亡くなりました。広島や長崎だけではありません。日本の主要都市は米軍の空襲でほとんど焼け野原になった。何百万人もいた軍人は全部失業しました。今の失業率どころじゃない。住む家がない、食べものがない、着るものがない、薬なんてもちろんない。芸大近くの上野公園には、戦災孤児や浮浪者がいっぱいいました。戦争に負けた日本の惨めな姿、その時のことを考えるとね、景気が悪い、100年に1度の危機だなんて言われても、そんなことはない、まだまだ豊かじゃないか、そう思えてならないんですよ


 頭から消えることのない敗戦後の日本の姿。それはスケッチ旅行やユネスコ(国連教育科学文化機関)の活動などで幾度も訪れたアフガニスタンイラク、中東やアフリカの国々で見た景色に重なる。


 「めちゃくちゃですよ。食べものも薬もなく、子どもたちがどんどん死んでいく。国際援助をしても、物資が届かないこともよくありますし。地球上に60億の人がいて、日本のようなレベルの暮らしができる人はそのうちの1割いないんじゃないでしょうか。しかし、ちょっと振り返ってみれば、つい半世紀ほど前の日本です。今の日本人は、自分の国の大変な苦境の時を忘れてしまったんでしょうか


 ■戦争に負けて豊かになった日本。だが、失ったものは多いと嘆く。


 人間性や精神性、倫理観……。高齢者や困った人につけ込む振り込め詐欺事件が多いですね。食べ物の偽装をして、ごまかしたりお金をもうけたり。毎日のように責任者が出てきて会見で『どうもすみませんでした』となる。みっともないというか、今の日本の姿を表していると思います。本当の人間的な豊かさを持っていたら、こんなことはないと思うんですよ」


 「中央教育審議会中教審)や有識者会議で、道徳を教科として教えるかどうか話し合われていましたが、管理統制につながるなどの理由で反対もあったと聞きます。道徳だとか修身というのは、軍国主義に結びつくからということなのでしょうか。そうではないと私は思いますね」


 07年に中教審で検討された道徳教育の教科化は、賛否両論を盛り込んだうえ、結論は先送りされている。


 「私は、軍国主義というのは一種の原理主義だと思うんですよ。今、イスラム教徒の名の下でテロを引き起こしているのは、アルカイダとかタリバンとか、一部強硬な原理主義者たちです。排他的で考えの違うものは一切認めない。でも、他の十数億のイスラム教徒は自由であり平等であり親切なんです」


 ■アフガン内戦で住む土地を奪われ、パキスタンに流れ込んだ難民のキャンプを訪れたことがある。そこで出合った光景が忘れられないという。


 羊の肉を持った貧しそうなアフガン人の男性が裸足で歩いていた。そこへ次々と手が差し伸べられた。すると男性は持っていた肉を少しずつみんなに分け与え始めた。手から手へと――。


 「結局、その男性の手には小さな肉の切れ端しか残っていませんでした。これが本当のイスラムの人なんです。お互いに助け合おうという心です。日本だって同じですよ。軍国主義は一部の原理的な人たちが独走した結果。本当の日本精神かといえば、絶対そうじゃない。日本は昔から八百万(やおよろず)なんです。寛容でいろいろなものを取り入れる民族性がある。教育とは知識を詰め込むだけではダメです。人間性や精神性、いたわりや感謝する気持ち、人間としてバランスのある感情を育てていかないと


 翻って、今の日本はどうなのか。「自分の努力が足りない、怠けているのをさておいて、親が悪い、先生が悪い、社会が悪いと、責任を押しつけてばかりいる。己を顧みることを忘れているわけですね。これをどうしたらいいか。やはり物心がつくかつかないかぐらいの小さいときからの教え、しつけが非常に大切だと思うんですよ」


 ■昨年12月に、暗殺されたアフガニスタンマスード将軍の兄弟が来日し、平山さん宅を訪ねてきた。「アフガニスタンはどうしたら平和で新しい国に生まれ変われるか」という質問を投げかけてきたという。平山さんは「やはり教育だ」と答えた。


 「貧しくても、たとえタリバンの子であろうとも、勉強したいと思う子には差別なく、教育を授けてあげたらどうだと言ったんです。そうしたら『それはいい。やりたい』と言っていました。それならば学校をつくる手伝いはすると言ったんです。武力による解決は絶対ダメだということも言いました」


 さらに言葉を継いだ。


 「なぜ日本が戦争で焼け野原になって、あれだけのどん底に落ちたのに今日があるかといえば、いろいろな国際的援助があったからです。そして平和だったからです。今度、米国の大統領がオバマさんになります。イラン、イラク北朝鮮などいろんな問題を敵対じゃなく、話し合いで解決しましょうと言っています。日本も人道的な面や福祉、技術支援や経済協力など、アメリカではできない、日本なりの国際的役割を果たすべきです

 昨春、体調を崩した。「神の啓示と思って」これまで引き受けていた名誉職をすべて辞めたという。「あとどれだけ絵が描けるか、時間との競争です。そう思ったら、あれも描きたい、これも描きたいというのが出てきて」。1日8〜9時間はキャンバスに向かうという。


 写真撮影のため案内してもらったアトリエの壁には、砂の色で下塗りされた絵が2枚、立て掛けてあった。イスラム教寺院のモスクが描かれていた。「他のことに時間を取られず、今が一番自由に絵が描けるときですね」。そう言って平山さんは、いとおしむように描きかけの絵に目をやった。


 完成したら、そこには何色の風景が広がっているのだろうか。早く見てみたい、と思った。【小松やしほ

                                        【毎日新聞